約130年ほど前にスイスに渡っていた日本のお寺の鐘をジュネーヴで発見しました。
(このページは2002年12月に瑞聖寺に提出したレポートを基にし制作したものです。)
下の写真はスイス・チューリッヒの近くのアァラウの町はずれにあるリュエッチ鋳造所の庭に置かれている日本のお寺の鐘の写真で今から約130年前の1,872年に撮影されたものです。 左・品川寺の鐘 中・瑞聖寺の鐘 右・増上寺の鐘 (写真リュエッチ鋳造所蔵) |
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今回発見された瑞聖寺の鐘
上の写真の真中にある一番小さな鐘が今回(2001年)、ジュネーヴ民俗博物館にあることがわかった瑞聖寺の鐘です。 瑞聖寺にはこの鐘に関しての記録は全く見当たらず、かってこの鐘を所有していたことさえわかっていませんでした。 この鐘に刻まれた文字から、今は消失している開山堂という建物で、お寺の日常生活上での時を知らせるために使われていた半鐘であることがわかり、1756年に鋳造されて寄進されていたものでした。 この鐘については、1958年にスイスの名家であるソシュール家より現在のジュネーヴ民俗博物館に寄贈されたという記録が一番古く、また信頼出来る記録でした。 |
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鐘に刻まれている文字 |
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ジュネーヴ民俗博物館
ジュネーヴ民俗博物館は駅前から歩くと少し遠いかもしれませんが路面電車に乗ればほんの5・6分、骨董市の出るプラン・パレ公園から少し横道に入ったところにあります、ジュネーヴ大学のあるバスチョン公園からは歩いてもそれ程ありません、散歩の感覚で訪ねてみて下さい。 スイスには東洋・日本に関する博物館が他にあります。 チューリッヒに・リートベルグ美術館 ベルンに・ベルン歴史博物館 左写真:ジュネーヴ民俗博物館正面 |
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ジュネーヴ民俗博物館に公開
2002年11月14日公開 この瑞聖寺の半鐘はジュネヴー民俗博物館の別館に保管をされていて、非公開であったことから、今まで人の目に触れることがなく、所在があきらかでないまま今日に至っていましたが、今回の私の調査の結果、この博物館に保管されていることがわかりました。 翌年11月、同館館長のルイ・ネッカーさんと東洋部担当部長のジェローム・ドュコー(ル)さん、および瑞聖寺の古市住職のご協力とご尽力があり、同館内にある日本展示室に公開される運びになりました。 鐘が屋内にあることもあり共鳴をして割れることが懸念されることから、ここでは撞くことは出来ません。 |
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公開の式典 2002年11月14日、ルイ・ネッカー館長、J・ドュコー(ル)部長、日本からは瑞聖寺・古市住職、丁度ジュネーヴへ留学中の品川寺(もう一つの大きな鐘は品川寺の梵鐘で、このことについては後述します)の、仲田後住ご夫妻、当日の通訳・M・グライラーさん、および私が出席をして、古市住職の読経に始まり公開の式を行いました。 古市住職の言葉は‘仏縁に国境なし’でした。 その後古市住職は2005年5月に新ローマ法王に謁見を許され、宗教の違いを超えての世界平和を誓われるなどご活躍をされています。 |
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住所 | 東京都港区白金台3−2−19 |
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電話・FAX | Tel:03−3443−5525 Faxz:03−3447−5526 |
ホームページ | http://www.zuisho-ji.or.jp/index_pc.html |
ホームページでは瑞聖寺の仏笑会の発行する小誌を見ることが出来ます、大変ユニークな冊子なので是非一度開いていただきたいと思います。 (仏笑は‘ほほえみ’と呼びます) |
リュエッチ鋳造所の庭に置かれていた3本の鐘のうち左の一番大きな鐘が品川寺の大梵鐘です。 85年前の1930年に品川寺に返還され、戦時中もお寺の必死の努力で守られて現在も鐘の音を響かせています。 写真:現在の品川寺の大梵鐘は国指定重要美術品に指定されています。 (写真は遠藤義博さんより提供いただきました) |
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今回、瑞聖寺の鐘が見つかったのに対して品川寺の大梵鐘は85年前の1919年、ジュネーヴのアリアナ美術館で発見されて(発見されたというより、アリアナ美術館の庭で鐘を突いてこのあたりに鳴り響いていて現実に使用されていた)、その後1930年(昭和5年)ジュネーヴ市の好意により品川寺に返還されて、現在は品川寺の鐘楼にかかげられて鐘の音を響かせています。
当時、昭和のはじめ、ジュネーヴ市からの鐘の返還はジュネーヴ市と日本との友好の徴として大変大きな話題となりました。
返還にあたり,先々代の順海和尚のご努力を始め、この鐘が品川寺に到着し信者の喜ぶ有様などをドラマチックに報告をしている新聞の記事が品川寺のホームページで見ることが出来ます。
住所 | 東京都品川区南品川3−5−17 |
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ホームページ | http://www.evam.ne.jp/honsenji |
東の浅草寺、西の品川寺として大変有名なお寺です。 高さ2メートルの地蔵菩薩は江戸6地蔵第一番として親しまれてきました。 是非一度、お参りにお出かけになってください。 |
ジュネーヴ・アリアナ美術館の鐘(ジュネーヴの街に鐘の音が響く)
ジュネーヴの赤十字本部の建物が小高い丘の上にあります、その正面の麓に大きな庭園を持った瀟洒な建物のアリアナ美術館があり、時々鐘の音が響いてきます、庭の奥のほうに鐘楼があり誰でも自由に鐘を撞くことが出来るので時々鐘の音が響いてくるのです。 この鐘は、60年前の品川寺の鐘の返還の厚意に感謝して、品川寺と品川区が1991年新しく鐘を鋳造してジュネーヴ市に寄贈したものです,寄贈した鐘は先に贈られた石灯籠のそばに鐘楼が造られて、現在のように鐘の音を響かせることとなりました。 |
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アリアナ美術館の庭にある鐘は日本より贈られた鐘。 1930年返還のお礼に送られた石灯篭が側に立っている。 |
陶磁器の収集で有名なアリアナ美術館 |
鐘楼の横に返還当時にお礼として送られた石灯篭には、東郷平八郎元帥の書による観音経の中の‘慧日破諸暗(えにちはしょうあん)の文字が刻まれています。 |
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増上寺の鐘は?
リュエッチ鋳造所の庭に置かれている3本の鐘の写真の右端に写っている鐘には増上寺の文字が見えますが残念ながら今のところこの鐘の行方がわかっていません。
かっての増上寺は現在の増上寺の何倍もの広大な敷地を有していて、その中には数多くの脇寺があり、その中の一つの鐘ではないかと推測されますが、写真からは判断がつきません。
2004年にパリ博物館の里帰り展が国立博物館で開催されましたが、残念ながらこの中には鐘はありませんでした。
何方か少しでも情報をお持ちでしたら、私まで知らせていただければ幸いと思います、よろしくお願いします。
何故ジュネーヴに日本のお寺の鐘が?
何故?どのような経緯でこのように日本のお寺の鐘が遠くヨーロッパに渡っていたのか?大変疑問が多いのです、お寺に伝わる噂や.憶測などでは、1867年のパリ万博、1873年のウイーン万博の会場に出展されてその後行方がわからなくなったとされているのですが、事実は、明治政府の廃仏毀釈の政策により多くの寺院にあった仏像・仏具をはじめ鐘などがヨーロッパの諸国へ流出し大砲などを作るために鋳潰されていたというのが真相のようです。
当時、良質の銅が取れることから日本の銅製品は大変珍重されたとの話もあります。
これらの3本の鐘については博覧会に出品されていたという証拠は全くありません、もし、博覧会のどこかに出品されていたとしても、その後、帰国の機会をなくしたままアアラウの鋳造所に流れてきて、鋳潰される寸前にあったところを、幸いにも、ジュネーヴの美術愛好家の手によりその命を救われていたのです。
御礼
今回の調査に際してお寺のご住職、美術館・博物館の方々はもちろん実に多くの方々のお協力をいただきました、
ここに厚くお礼を申し上げます。
瑞聖寺(東京都港区白金台) | |
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品川寺(東京都品川区南品川) | |
増上寺(東京都港区芝) | |
アリアナ美術館(ジュネーヴ) | |
ジュネーヴ民俗博物館(ジュネーヴ) | |
リートベルグ博物館(チューリッヒ) | |
リュエッチ鋳造所(アアラウ) |