シャモニーの街

エギュー・ド・ミディ展望台へ行くケーブルカー乗り場

モン・ブラン展望のエギュー・ド・ミディ(3942メートル)へ登るケブルカーはシーズン中は左の写真のようにとても混雑して時には何時間も待たされることがあります。

エギュー・ド・ミディは氷河スキーのヴァレー・ブランシュ、イタリアのエルブロンネルや
中間駅からのモンタンヴェルへのハイキング等の出発点にもなるので沢山の人がこの駅に集まってくるのです。
富士吉田公園

サン・ミッシェル教会の後の小高いところにある広場のフジヨシダ・ジャルダン(富士吉田庭園)は富士吉田市と姉妹都市を結んだことを記念して作られた公園です。
富士吉田で石彫の創作をしている浜田彰三の制作した可愛らしい‘わらしこ(童子)の石彫りの像があり、町の人に愛されていて近くの小学校の子供たちが‘わらしこ’の頭をなでながら登下校をする姿は日本の子供達と少しも変わりません。

この公園からの見晴らしはとてもよく、東にドリューもよく見えるようになり、写真のようにモン・ブラン、ドーム・ド・グテー、ボソン氷河が手に取るように見えます。


ゴルフ場

シャモニーは谷間の街なので狭いように思いますが、この谷間には全長5845メートル、18ホールの立派なゴルフ場があります、各ホールにはシャモニーを取り巻く山の名前がついて、#9のモン・ブランは、モンブランンに向っての豪快なショットをします。
コースの殆どはフラットですが、いたるところに氷河の溶け水の急流が横切っていて梃子摺ります。
夏時間のせいもあって日の暮れるのは遅く、外はは9時頃まで明るいので、最終のスタートは5時頃でもOK、あまり上手でない人や家族を連れた人たちが和やかにラウンドをしている姿を見かけます。

モリス・エルゾーグ邸

フランス国鉄(S・N・C・F)駅前の左側にこんもりした林があり、その中にひっそりと
由緒ありげなお屋敷が建っています、まるで無人のようですが、夜になるとほんのりと明かりが漏れて人が住んでいることがわかります。
1950年、ヒマラヤ・アンナプルナに初登頂をしたフランス隊の隊長のモーリス・エルゾ
さんのお屋敷です。
モーリス・エルゾーグさんは、エヴェレスト初登頂のヒラリー卿とともに当時その名前を世界に轟かせたもです。

処女峰アンナプルナ’ モーリス・エルゾ−グ著‘近藤 等訳は是非一度は読んでみたいもの。


E・ウインパーーのお墓

マッターホルンの初登頂に成功をしたE・ウインパーのお墓は、ツエルマットではなくこのシャモニーにあります。
メール・ド・グラスのモンタンヴェールへ登ってゆく登山電車駅のそばに塀に囲まれた墓地があります、門を入ってすぐ左手にE・ウインパが眠っています。

そのほか日本でもよく知られている、‘無償の征服者’の著者でアンナプルナの登山隊員あったライオネル・テレー
‘ザイルのトップ’の著者、フリゾン・ロッシュ

あごの長い、パイプを咥えて岩を登る姿でおなじみのガストン・レビュファー、のお墓にはあの横顔のリリーフがはめ込まれています。


日本人の遭難者のお墓

モン・ブランやグランド・ジョラスなどで遭難をした日本人の方々の碑がこの墓地にあり、シャモニー日本人会の手によって守られて来ています。
この碑の隣には、中野 融さんのお墓があります。







レ・プラ(ッ)の教会

シャモニーの中心から2キロメートルほどのレ・プラ(ッ)の村に教会があり、後ろにドリューを背負うという、なかなか贅沢な背景を持った教会です。
この敷地内にはいつもきれいで冷たい水が流れ出ていて、とても美味しい水です。
ラック・ブランのハイキングなどではこの近くへ降りてくるので、靴を脱いで足を冷やしたり、一服するのには最適の場所になっています。
後に見える尖がった岩山がドリュー、右に連なる峰は火炎山と呼ばれているように、奇岩の峰がつながっています。

シャモニーの街から、このレ・プラ(ッ)まで川沿い、林の中などと何本かの散歩道が通じているので、適当な道を選んでゆっくりと歩いてみるとよいでしょう。
サヴォイの野原
街のはずれ、と言っても5分くらいのところにこのような広くて気持ちのよい野原が広がり春になると一面お花畑になります、冬はなだらかな斜面なので子供達のスキー場になります。
野原のはずれには、ホテル・別荘、の建物が並びます。
スイスとの国境のバルム峠もみえています。








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