マッターホルン

ツエルマットの街から眺めるマッターホルンが
一番美しく見えると言われています

   ツエルマットの街のいたるところから美しいマッターホルンの姿を眺めることが出来ます。
   マッターホルンはその姿が美しいだけでなく,登山史の上で又登山文学の上で大きな意味を持った山なのです
   そして、その大きな役割を果たしたのがE・ウインパーその人なのです。マッターホルン、E・ウインパー、ツエル
   マット、この三者はそれぞれ切っても切り離すことの出来ない深い関係にあります。

初登頂

1940年頃から1865年にかけてはアルプス登山の黄金期とされていて、アルプスの高峰が次から次へと登頂されてゆきました、その中にあって登頂は不可能とされていたのがマッターホルンでした。
マッターホルン登頂の試みはなんと18回も繰り返されたのです、そして1865年7月14日、スイス側の南東稜を登ったE・ウインパーの一行7人がとうとうその頂上に立つことに成功したのです。
しかし、下山を始めて間もなく7人の内4人もが滑落するという事故に遭遇しました、そのときの様子はE・ウインパーの手により‘アルプス登攀記’に詳しく残されています。
日本語では特に浦松 佐美太郎の名訳で知られていて岩波文庫をはじめ数多く出版されています。
ちょうどこの頃は写真がそれまでの挿絵に変わりつつある変動の真っ只中で、挿絵画家の家に育ったE・ウインパーの描いた挿絵は大変貴重なものです。
左の挿絵は、遭難の直後に雲の上に現れた4ツの十字架を描いたもので、‘ブロッケン現象ではない’と本に書かれています、この絵をどこかで一度は見たことがあるという方が多いと思います。
   (挿絵は岩波文庫の’アルプス登攀記’より引用しました)



頂上は悪魔の住家

  E・ウインパ−が1865年の初登頂を果たすまでは、マッターホルンの頂上には悪魔が住んでいて、近づいてくる人間がいると石や岩を投げて突き落とすと本当に信じられていました。
E・ウインパーの著書‘アルプス登攀記’には、初登攀の当日、イタリア側からもイタリアの威信にかけて初登頂を試みていたカレルにE・ウインパーが石を投げて先に登ったことを知らせたので、カレルは本当に悪魔に‘石を投げられた’と報告している、と記されています。
一方、日本では山々は信仰の対称になり、また修行の場として崇められてきました、日本の多くの山の名前から見てもこのことが良くわかります。


日本人の登山家とマッターホルン

  真冬の北壁を登った
  マッターホルンの北壁の概念図をご覧ください、この岩壁を真冬の2月、日本人の登山家が登りました。
1967年2月、小西政継、星野隆男、遠藤二郎の3人のパーティです。
この北壁の初登攀は1962年ですから、たったの5年後に日本の登山家がこの快挙を成し遂げたのです。
小西政継はこのときの様子を‘マッターホルン北壁’(中公文庫)に書いています。近藤等は‘山に登る行為と、文章を書くことは、全く異質なものである、この両方に卓越したものは極めてまれであり、小西政継はその第一人者である’とこの本を評しています。
                                 (概念図は同著より)



  女性の冬季初登攀は日本人女性
女性としての冬季北壁の初登攀は、日本人女性です。
鴫 秋子((しぎ あきこ)さんは1978年3月女性としてはじめて冬の北壁をご主人の鴫 満則さんと共に攀りました
この時の新聞記事が街のアルプス博物館に残されています。

  単独の北壁冬期登攀
長谷川恒夫が1977年2月、単独で冬季北壁登攀を成し遂げています。


  ヨーロッパアルプスの3大北壁
ちなみに、ヨーロッパアルプスの3大北壁とは
        1:マッターホルンの北壁
       2:アイガーの北壁(スイス)
       3:グランドジョラスの北壁(フランス・イタリア、のフランス側

アイガーの北壁 グランドジョラスの北壁
(左のピークの壁)



E・ウインパーのお墓は?
 街にある教会の墓地には数多くの遭難者が眠っていて、季節ごとに花が飾 られて手入れがよく行き届いています。
マッターホルンの初登頂に成功をした直後にザイルが切れて遭難したミッシ ェル・クロー、ハドウ・フランシスダグラス C・ハドソンの4人のお墓もここにあります。(2002年、教会の後方に造られた新しい墓地に移り ました)
この時に切れたザイルなどの遺品は街のアルプス博物館に収められていて何時でも見ることが出来ます。
ところが、E・ウインパーのお墓はここツエルマットにはありません、1911年フランスのシャモニーで亡くなったので、お墓はシャモニーにあります。
優秀なガイドであったミッシェル・クローはシャモニーのツールの出身でした、彼の家は今もツールの村に残っています、そして、シャモニーのメインストリートは`ミッシェル・クロー通り’と彼の名前が付けられています。

                                   写真:移転前の4人のお墓                                           

  地球の‘にきび’マッターホルン
マッターホルンはどのようにして出来たのでしょう?・・・誰もが抱く疑問です。
火山ではないし、氷河が削り取ったとしたらその大量の削り屑はどこにあるの?面白いのは、彗星がこの近くをかすめて通り過ぎて行った、その時に一番硬い岩のマッターホルンを残して他の岩石を吹き飛ばしていった・・・という説です。

実は、この山は根無し山なのです、一方富士山のような山は地底のマグマが噴出して出来ているので、しっかりと地球に根元を食い込ませています。
大昔(中世代から新生代にかけて)の地球規模での造山活動が盛んであった頃、複雑に褶曲、衝突、せりあがり、もぐりこみ等の激しい地殻変動活動を何回も繰り返した結果に出来たのがヨーロッパアルプスです。
マッターホルンは、ちょうど、・大きな岩を地球に突き刺した形で立っていると考えて良いでしょう、ある意味では船のように浮かんでいると言えるかもしれません。
富士山は地球にしっかりと根を張っているので‘腫瘍’、そしてマッターホルンは根が無いので‘にきび’ではいかがでしょうか?                                 
       
   マッターホルン         富士山        
    



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