ツエルマットの街

駅前広場
ツエルマットの街へは直接自動車で入ることは出来ません、自動車は手前のティ-シュの駐車場に入れて、そこから一駅先のツエルマットへ電車で入ります、街の中の交通は電気バス、電気タクシーです、以前は馬車も沢山走っていました。
ツエルマットの駅に降りると、駅前には横腹にそれぞれのホテルの名前を書き入れたなかなか立派な馬車が何台も停まっていて、列車を降りてくるお客さんを出迎えてそれぞれのホテルへと案内をしていました。
駅を降りると、馬の独特の臭いがして、中には顔をしかめる人もいたのでしょう、98年に駅舎が新しく建替えられると同時にこの馬車の姿もすっかり少なくなり、懐かしい臭いも消えてしまいました。
駅を降りてこの臭いをかぐと、‘ツエルマットへ来たのだ’という気がしたものですが、今はとても懐かしい臭いになってしまいました。
ツエルマットもこうしてドンドンと新しく変わっていっているのです。
(ヨーロッパの人は馬の臭いが好きですが、ツエルマットへは世界の各国から訪ねてくる人が多いのです)

約130年前のツエルマットの村
今から約130年前の1887年のツエルマットの冬の様子を描いた絵がシャモニーの博物館で発見されました。、
フイスパ川が流れ、アルトドルフの集落があり、奥の方に当時としてはなかなか立派な建物が見えます、多分ホテル・モンテローザでしょう。
現在はこの川のあたりにはホテル・シティなどが建っています。
今のツエルマットからは想像もできないほどの寒村だったのです。当時の生活の様子を街のアルプス博物館では実物大で再現して展示しています


ツエルマットの人はスイス人の直系
昔々、今のスイスあたりにはケルト人が住んでいました、ケルト人の中の一部族にヘルヴェチカという、勇猛、知能,戦闘に大変優れた部族がいてその名を近辺に轟かせていました。ローマの将軍シーザーの有名な‘ガリア戦記’にはこの部族との戦いには相当悩まされたことが長々と記されています。
結局はローマの大軍に征服されてしまうのですが,その時のヘルヴェチカ部族の何人かが山奥のツエルマットへ逃げ延びてきた、・・・・・と考えるのはいかがでしょう。
平家落ち武者、義経のジンギスカン説、のスイス版です。
この有名なヘルヴェチカ部族を祖先に持ったことを誇りにしてでしょう、今でもスイスの硬貨にはスイスの文字はありません。
Confoederatio Hervetia(Hervetiaだけのものもある)の文字が刻まれています。
尚、スイスは2002年のヨーロッパのユーローの統一通貨制には加盟をしませんでした、したがって現在も、従来のスイスフランを通貨としています。

ねずみ返しのある家
ツエルマットの街を歩いていて少し横道に入ると、土台と建物の間に平べったいお皿のような形をした石を挟んだ校倉造りの古い家をよく見かけます。

これは、ねずみが家の中に入ってこれないようにと工夫されたもので、日本の縄文・弥生時代の穀倉にも同じようなものがありました、今でも、船舶を岸壁に繋留するロープには船舶の中にねずみが入らないように同じような装置(?)が使われています。
このような古い建物は新しく建替えられてその数が減少していますが、古い町並みの景観を残そうとして保全されている地区が町の中にいくつかあります。






街のメインストリートを駆け抜けるヤギの群れ
ヤギの群れが朝夕、牧場への行き帰りに街のメインストリートを足早に走り抜けてゆきます。
街の人々はその度に外に出してある鉢植えの草花を入れたり、出したりしなければなりません、金モールの制服姿のホテルの人も、ヤギの首に取り付けたガラン・ガランというベルの音を聞くと急いで飛び出してきて、シッ・シッとヤギを追い払っています一足遅れると 外の草花はみんなヤギたちに食べられてしまうのです。
 観光客がカメラに収めようとしますが、朝は早く草のあるところへ、帰りは早くねぐらに帰りたいヤギたちは足早に駆け抜け るのでカメラに収めるのはなかなか難しいのです。


E・ウインパーのリリーフ

 マッターホルンの初登頂に成功をしたE.・ウインパーとツエルマットとは切っても切り 離すことは出来ません。
E・ウインパーのリリーフが街の目抜き通りに面したホテル・モンテローザの壁にはめ 込まれています。
大勢の人がこの前を通り過ぎて行くのですが、あまり気のつく人がいないようでした。 
その故かどうか判りませんが、とうとう1999年に新しく銘盤が追加されました、ドイツ語と英語で
‘マッターホルンの初登頂に成功をしたE・ウインパーの一行は1865年7月13日、ここを出発していった。’と書いてあります。
 このホテル・モンテローザはE・ウインパーの常宿だったのです。





マッターホルンに370回登った人
マッターホルンに370回登った人がいます、最後に登ったのはなんと90歳のときでした、その人の名はユーリッヒ・インデルビナーさん、ツエルマットの山岳ガイドでした。
それを記念してねずみ返しの家並の保存地区である、ヒンタードルフの入り口(フイスパー川の方の入り口)に彼の碑ができました。

その碑には
‘ユーリッヒ・インデルビナー、1900年3月12日生まれ、将に驚くべき強健さと強い意志の持ち主、マッターホルンに最後に登ったのは90歳のとき、1990年’と記されています’。



   

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